2012年02月26日

昨日考えていたこと。今日観たこと。

サラリーマンをやりながら演劇を続けていく道を選んでから、丸五年が経とうとしています。

サラリーマンは演劇を業にしている人より何倍も多いので、
サラリーマンという多数の中で生活をしながら演劇を作る、
という事が、
演劇という少数の中に居る時間を多く取ろうとしながら演劇を作る、
よりも大事な気がして、
今のような選択をしました。

昨日ふと、
だけどもサラリーマンとして生活していることが、自分の作る演劇にどのように作用しているだろか、
と考えた時、
実は作品的にはあまり大きく作用していないのではないかと。

サラリーマンだからこそ出来る演劇を作っているかと。

問うた時に、ノーだなと、
思ったのは、
改めてWATER WATER CAMELの「運命のアラサー」を聴いた時でした。
歌詞はコラージュのように断片的ですが、
普通のOLの心の底
を見ているような感じがしました。
演劇人ではなくOLの自分によく降りてくる歌詞でした。

演劇でも、サラリーマンを描いた作品はたくさんありますが、自分が観てきた作品の中では、
自分がサラリーマンとして働く時に感じる切々とした違和感を描いてるぞ、
と強く印象に残っているものは、ありません。
あとから思い出すかもですが、今はありません。

昨日そんなことを考えていたところ、
巡り合うものは巡り会うべき時に巡り合うべくして巡り合うもので、
今日観に行ったカムヰヤッセンさんの中で、サラリーマンの時に感じる違和感が描かれていました。

社会の歯車なんだよー俺たちはー。
という酔っ払いの月並みなセリフの持つ意味が、寓話の中で錆びたナイフのような鈍い痛みをもたらしていました。

もしそれを見ているのが学生の自分だったら、
あーまた、社会の冷酷さみたいなのを描いているよ、
とピサの斜塔の角度で見ていたと思います。

今なら、よくわかります。当たり前にあると知っているのではなく、実際目の当たりにし、それを当たり前の出来事として素通りしないといけない現場を経験した後なので。

サラリーマンとして描けること。
それは、女子高生として描けること、から始めた自分の原点回帰でもあります。
posted by 金子リチャード at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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