2006年06月07日

読みました

南Q太の『かみさまお願い』を読みました。

感想は「こういうのも、あるか。」

私にとっては、すんなり自分の中に入ってくるものではなくて、
でも否定しようという気にもならない。
なんだか居酒屋で酒の肴に友達の話を聞いているような感覚でした。


ここで!
突然ですが、文楽(人形浄瑠璃)・歌舞伎作者であった近松門左衛門の創作論に「虚実皮膜」というのがあります。
(皮膜/ひまく・ひにく 読み方が二説ある)

「芸というものは、実と虚との皮膜(ひにく=皮と肉)の間にあるものだ。

 なるほど、今の世では事実をよく写しているのを好むため、家老は実際の家老の身振りや口調を写すけれども、だからといって実際の大名の家老などが立役者のように顔に紅おしろいを塗ることがあるだろうか。また、実際の家老は顔を飾らないからといって、立役者がむしゃむしゃとひげの生えたまま、頭ははげたまま舞台へ出て芸をすれば、楽しいものになるだろうか。

 皮膜の間というのはここにある。虚にして虚にあらず、実にして実にあらず。この間になぐさみがあるものなのだ。」(現代語訳・『絵文録ことのは』より引用)

私の創作の根っこにある考え方です。
ちょうど今日、近松の授業で改めて習ったので載せてみました。

虚構だけでもだめ、事実や現実だけでもだめ。
どちらもあってこその創作。

私は南Q太の『かみさまお願い』に虚構の楽しみを感じられませんでした。
ほとんど読み流してしまう感じだったなぁ。

今回は何とも遠い世界のお話だったので、
次は純っぽい『デイト』を読んでみようかと思います。
あ、何だかんだ言って読むんだな(笑)
posted by 金子リチャード at 22:56| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Excerpt:  物事を正視するというのは難しいものだと思った。  だってみんな生まれてからずっと世間に押し付けられてきた、いろんな面倒な決まりごとや常識に眼を曇らされてしまっているから。たとえば横浜という街の印..
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